16歳のティク・ナット・ハン。ベトナム・フエ
1942年頃撮影。沙弥十戒を授かり、僧侶となってすぐの頃。
2013年、ニューヨーク市・ブロードウェイで。
ABCホームで開催されたティク・ナット・ハンの書の展覧会で。
1970年代、パリ近郊の“ル・パターツ・ドウス(さつまいも)”での畑仕事する様子。
1975年、ティク・ナット・ハンと同僚や教え子たちは小さな農場に逃れた。パリ平和会議がパリ平和協定の成立で終わった後、ティク・ナット・ハンはベトナムに帰国する機会を閉ざされた。
2018年10月、タイ国で92歳の誕生日を祝う様子。
ティク・ナット・ハンは2014年11月に重篤な脳卒中を起こした後、新設のタイ国プラムヴィレッジでベトナム出身の新弟子たちに加わるため、タイ国に移り住んだ。
2018年、10月28日、ベトナム・フエの慈孝寺へ帰寺。
ティク・ナット・ハンは自身の起源となった寺に戻って余生を送ることを決めた。
プラムヴィレッジで、自身の共同体の歩く瞑想を導く様子。2014年6月。
1950年、若い法師のティク・ナット・ハン(後列右)と教え子たち。
ティク・ナット・ハンはサイゴンの印光(アン・クヮン)仏教研究所が再編した後に教えた。
1951年、具足戒を授かり、比丘となった直後の25歳の頃。
平和を訴えるティク・ナット・ハン。1966年頃。
1960年代初め、大観音菩薩の歌を使って子供たちに読み書きを教える様子。
ティク・ナット・ハンは仲間や同僚たちと共に、農地開発のための社会福祉プログラムをつくり、青年社会福祉学校を創立した。
1966年、拡大していく仏教平和運動の若きリーダーとして。
この頃、ヴァン・ハン佛教大学、ラ・ボイ出版社、青年社会学校を創立し、(菩薩戒の伝統にもとづく)オーダー・オブ・インタービーイングを新しくつくった。この当時ティク・ナット・ハンは週5万部を発行する主要な仏教誌の編集長を務めていた。
1966年、ベトナム戦争のさ中、和平を訴えるため渡米。
Auf der Suche nach den Wurzeln des Krieges in Vietnam reiste Thich Nhat Hanh 1966-67 in die USA und weitere 18 Länder, um zum Frieden aufzurufen. Doch der Preis für seinen Mut war die Verbannung aus seinem Heimatland, welche 39 Jahre dauern sollte.
キング牧師と共に。シカゴで行われたベトナム戦争についての共同記者会見で。1966年5月31日。
Bei einer gemeinsamen Pressekonferenz am 31. Mai 1966 im Sheraton Hotel in Chicago.
1982年6月17日、ニューヨークで平和デモ行進に参加するティク・ナット・ハン(右)。
Thich Nhat Hanh war 1982 in New York, um ein Meditations- und Achtsamkeitsretreat zu leiten, und alle Teilnehmer des Retreats schlossen sich gemeinsam dem Marsch an. Von L bis R: Lewis Richmond, Richard Baker Roshi und Thich Nhat Hanh. Einige Jahre später reflektierte Thich Nhat Hanh: “Es gab viel Wut in der Friedensbewegung. Wir sollten nicht “für” den Frieden marschieren. Wir sollten Frieden “sein” während wir gehen.”
1980年代初め、フランス南西部で。
ティク・ナット・ハンと教え子たちは南西部に土地を見つけた。この場所で1982年にプラムヴィレッジ・マインドフルネス実践センターを開いた。
自身の共同体プラムヴィレッジでくつろぐティク・ナット・ハン(1980年代後半から1990年代初め頃)。
späte 80er oder frühe 90er Jahre
1990年、プラムヴィレッジの瞑想堂。
ティク・ナット・ハンは農場の建物を利用した瞑想堂を設け、欧米で最初の世代となる瞑想実践者達を教え始めた。
1990年、主宰としてプラムヴィレッジで法灯継承式を営み、法師たちに伝灯を授ける様子。
ティク・ナット・ハンは1988年にようやく最初の出家者の弟子たちをとった。指導して35年を経てからのことだった。
ティク・ナット・ハンと拡大する僧侶団の正式の昼食(斎座)。2011年。
계속하여 늘어나는 제자 승려들과 함께 발우 공양 하시는 모습입니다. 틱낫한 스님은 맨 앞쪽에 계십니다.
プラムヴィレッジ、ニューハムレットで。2004年頃。
2014年夏、プラムヴィレッジで子供たちを教えるティク・ナット・ハン。
2014年、マインドフルネス・リトリートで数百人の参加者を教えるティク・ナット・ハン。
ティク・ナット・ハンのメッセージは喜びと幸せを育み、辛さと悲しみを変容する方法に焦点をあてたものだった。
歩く瞑想を導く様子。2009年頃。
Thich Nhat Hanh wurde “Der meist geschätzte Lehrer des Westens” genannt.
プラムヴィレッジで鐘の音を招く様子。2009年。
종소리를 초대하는 (플럼 빌리지에서는 ‘종을 울린다’라는 표현 대신 ‘종소리를 초대한다’라고 표현합니다) 틱낫한 스님
2011年、近著のひとつを確認するティク・ナット・ハン。
詩集やフィクション、経典訳、エンゲージド・ブディズムの実践について、瞑想の手引きなどティク・ナット・ハンの著書は100冊以上にのぼる。
2005年、ベトナム・フエの慈孝寺へ帰郷。
39年間に及んだ国外追放の後、ティク・ナット・ハンは2005年に初めてベトナムに帰還。1966年5月に去って以降、初めて自身の“起源の寺”の山門をくぐる様子。
2005年、ベトナム・フエで伝統的な托鉢修行を行う様子。
Thich Nhat Hanh kehrte 2005 nach Vietnam zurück – nach 39 Jahren im Exil. Im Bild leitet er einen traditionellen Almosengang mit hunderten Mönchen und Nonnen in Huế.
ティク・ナット・ハンのヨーロッパ応用仏教研究所が2008年、ドイツ・ヴァルトブレールで開所。
2014年5月、香港大学から名誉博士号を授与されるティク・ナット・ハン。
ティク・ナット・ハンは2012年、宗教性のない“実践倫理”を教育の場にもたらすため、教育者向け訓練プログラムをつくった。
2008年、インドで菩提樹の木を植樹する様子。
Thich Nhat Hanh ist eine führende Stimme in der buddhistischen Ökologiebewegung. Hier pflanzt er einen Bodhibaum im indischen Himalaya-Gebirge, Mussoorie, 2008.
インドネシアに到着するティク・ナット・ハン。2010年。
Im Jahre 2010 nahm Thich Nhat Hanh Bekanntheit in Südost-Asien rapide zu. Tausende strömten zu seinen Reden und Lehrreisen in Hong Kong, Thailand, Korea, Taiwan und Indonesien.
2008年、インドの霊鷲山で。
仏陀の聖地のひとつで、屋外での受戒式を営む様子。
教え子たちに耳を傾けるティク・ナット・ハン。2013年、香港。
2013年、香港スタジアムで。
この時、ティク・ナット・ハンは1万人以上の聴衆に向かって講演した。
慈悲の詠唱。2013年、香港。
ティク・ナット・ハンの共同体は偉大な慈悲の菩薩、観音菩薩の御名を唱えた。
船舶ローランド号に乗船するベトナム難民達。ティク・ナット・ハンと同僚たちはシンガポール沖で難民たちを救助するため、この船をチャーターした。1976年。
Vietnamesische Flüchtlinge an Bord der Roland, einem gecharterten Schiff von Thich Nhat Hanh und seinen Brüdern für eine Rettungsaktion im Meer vor Singapur, 1976.
1970年代、パリでのティク・ナット・ハン。
国外で和平の訴えを決行したため国外追放されながらも、パリ平和会議では仏教平和使節団を代表した。
ティク・ナット・ハン禅師はマインドフルネスや平和に関する力強い教えと著書で有名な世界的スピリチュアルリーダー、詩人、平和活動家です。穏やかで慎ましい僧侶であり、キング牧師はノーベル平和賞に彼をノミネートした際、「平和と非暴力の使徒」と呼びました。生まれ故郷であるベトナムから約40年にわたる亡命生活を余儀なくされる一方、ティク・ナット・ハンは仏教とマインドフルネスを西洋にもたらすパイオニアとなり、21世紀の行動する仏教のコミュニティを築き上げました。
初期
Thích Nhất Hạnh (釈一行)の発音
ベトナム語の名前をカタカナで表すと「ティッ・ニャッ・ハン」となりますが、ベトナム語は声調言語なので、カタカナ表記は本来の発音の近似音となります。(日本では一般的に「ティク・ナット・ハン」として知られています。)弟子たちからは親しみを込めて「タイ」と呼ばれています。ベトナム語で「先生」という意味です。
中央ベトナムで1926年に生まれ、16歳の時、ティク・ナット・ハンは古都フエにある
ベトナム戦争の中での社会活動
ベトナムにて戦争が勃発した時、僧侶や尼僧は僧院で瞑想を行い黙想的な日を続けるべきか、それとも戦争の爆撃や騒動の中で苦しむ人々を助けるべきかという疑問に直面しました。ティク・ナット・ハンはその両方を選び、「行動する仏教」のムーブメントを起こした人物たちの一人です。この「行動する仏教」という言葉は著書『ベトナム:炎海に咲く蓮華』において初めて考案されたものです。以来彼の人生は、個人と社会のためになる内的変容の働きかけに捧げられてきました。
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1961年、ティク・ナット・ハンはプリンストン大学で比較宗教学を教えるために渡米し、翌年には、コロンビア大学で仏教学を教え、研究を継続しました。1960年代初頭に、仏教の道理である非暴力と慈悲に基づいた1万人のボランティアからなる草の根の救済組織「青少年社会奉仕学校」をベトナムで設立しました。
瞑想は、社会から逃れるための方法ではありません。自分自身に立ち返り、今起こっていることを見つめるためにあります。見るということは、行動することを伴います。マインドフルネスがあれば、助けるために何をすべきで、何をすべきでないのかを理解することができます。
ティク・ナット・ハン
学者、教師、そして活動家として、1960年代にはサイゴンにおいて、
1966年5月1日、慈孝寺で
ベトナムからの国外追放
数ヶ月後、ティク・ナット・ハンは欧米へ渡り、平和への提言、そしてベトナムに蔓延する敵意の終焉への呼びかけを行いました。1966年、旅の最中に彼はキング牧師と出会い、キング牧師は1967年に彼をノーベル平和賞にノミネートします。その結果、北ベトナムも南ベトナムも彼のベトナムへの帰還を拒否し、そこから39年に及ぶ亡命生活が始まりました。
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ティク・ナット・ハンはその後も広く各地を回り、平和と友愛のメッセージを広め続けました。ベトナム戦争を終わらせるため、欧米のリーダーたちにロビー活動を行い、1969年のパリ平和会議で仏教団を率いる役割を果たしました。
フランスにプラムヴィレッジを設立
ティク・ナット・ハンはマインドフルネスの技法、そして如何に‛平和を生きる’かについての講演と著述を続け、1970年代初期にパリのソルボンヌ大学の講師かつ研究員となりました。1975年にはパリ近郊でスイートポテト・コミュニティを設立し、1982年フランスの南西部のより広い土地に移り、まもなくそのコミュニティは「プラムヴィレッジ」として知られるようになりました。
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ティク・ナット・ハンの指導によりプラムヴィレッジは小さな田舎の農場から、今では西洋で最大の仏教寺院として知られるようになりました。そこには200人の僧侶が暮らし、毎年1万人以上の人が「マインドフルな暮らし方」を学ぶために世界中から訪れます。
プラムヴィレッジのリトリートでは、すべての年齢、バックグラウンド、信仰を持った人々が共に日常生活に自然に取り入れることのできる瞑想方法(歩く、坐る、食べる、くつろぐ、働く、立ち止まる、微笑む、マインドフルに呼吸する)を実践します。それは古来からの仏教の実践であり、ティク・ナット・ハンが現代の困難や課題に簡単にかつ力強く応用できるように抽出し発展させたものです。
この20年間で10万人以上の人がプラムヴィレッジ式、「5つのマインドフルネス・トレーニング」(五戒)を受戒しました。これは伝統的な五戒を、ティク・ナット・ハンが現代に適応するよう更新した、日常における普遍的倫理の規範です。
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近年では、ティク・ナット・ハンはマインドフルなライフスタイルを選ぶ何千人もの若者たちが参加する世界的ムーブメント「WAKE UP」を立ち上げ、さらに欧米やアジアの学校で生徒たちがマインドフルネスを学べるよう、教師たちをトレーニングするためのWAKE UP スクールプログラムも始めました。
ティク・ナット・ハンは芸術家でもあり、マインドフルネスのエッセンスを表した彼独自の書道は2010年以来香港、台湾、カナダ、ドイツ、フランス、ニューヨークで展示されました。
ここ10年で、師は米国カリフォルニア州、ニューヨーク州、ミシシッピ州、ベトナム、パリ、香港、タイ、オーストラリアに僧院を開き、ヨーロッパ初の「応用仏教研究所」をドイツに設立しました。
プラムヴィレッジ伝承に基づくマインドフルネス・プラクティスセンターではビジネスピープル、教師、家族、医療従事者、心理療法士、政治家、若者、退役軍人、イスラエル人・パレスチナ人などの人々に特化したリトリートを開催しています。約7万5千人がプラムヴィレッジの僧侶や尼僧により世界中で開かれているリトリートに参加しています。
近年ではアメリカの国会議員やイギリス議会、アイルランド、インド、タイの議員のためのイベントをティク・ナット・ハンは開いてきました。彼は暴力と戦争、そして地球温暖化の悪循環を止めるための具体的なステップの必要性をメルボルンで開かれた世界宗教議会とパリで開かれたユネスコの会議で呼びかけました。2013年に彼がアメリカを訪問した際には、グーグルや世界銀行、ハーバード大学医学部でマインドフルネスに関するイベントをリードして注目を集めました。
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2014年11月11日、彼の88歳の誕生日の1か月後、それまでに数ヵ月間急激に健康状態が悪化していた後に、ティク・ナット・ハンは深刻な脳梗塞に襲われます。現在も彼は話すことはできず、右半身のほとんどは麻痺していますが、その平和で穏やかで勇壮な存在感を通してダルマとインスピレーションを人々に与えています。
ティク・ナット・ハンは現在、16歳の時に出家したベトナムの慈孝寺で暮らしています。彼は残りの日々をそこで過ごすことを希望しています。車いすに乗って頻繁に外出し、お寺の祭壇を参拝したり、池の周りや祖先のお墓の周りをサンガ(実践者のコミュニティ)の先頭に立って歩く瞑想を行っています。タイの慈孝寺への帰還は、私たちみんなにとって気づきの鐘であり、深いルーツを持つ伝統に属することの大切さを思い出させてくれます。私たちがリトリートに参加したのであれ、師の著書を読んだり、法話を聴いたであれ、彼の教えにふれたものは皆、祖先からの智慧と慈悲の流れのなかにあるのです。